[PR]空いた時間にお小遣い稼ぎ 忍者ブログ

堂島孝平ファンにつけるブログ

ゾンビーズからモーターヘッドまで(つまり音楽的に語るということ)

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

サンキューミュージック

サンキューミュージックのフライヤー

堂島孝平


僕はいま(やっと)走り出した気分でいる。
今作が僕にもたらしたモノは満足感と多大なる幸せ。(堂島孝平 2001)


堂島くんのターニングポイント作品で、多くのひとが認める
2000年代に生まれたシティポップの傑作!
PR

堂島孝平の重要参考人

僕が初めて聴いたアルバムは「すてきな世界」ですが、
その内容の良さにはビックリしました。

「これはおかしい。絶対ブレインがいるはずだ。
そうでなきゃ、こんな風に化けるわけない。」と思いCDのクレジットを
急いで見てみると、プロデューサーに中山 努という名前が!


中山 努は、ピチカート・ファイブの「女王陛下のピチカート」
「月面軟着陸」などに鍵盤で参加してて、さらに「ベリッシマ!」の
バックバンドTokyo MFSB(※)のメンバーとしてクレジットされていた
経歴を持つ。

「なるほどこの男の犯行か・・・」


堂島くんは
「僕の音楽人生において、中山 努氏と出会えたことは
本当に素晴らしいことです」と語っているように中山 努はこの時期の
堂島音楽を創った重要参考人であることに間違いはないようです。


99年以降、堂島くんは中山 努の手を離れ自身だけで音楽を
創ろうという姿勢を見せ、大学を中退することでプロの
ミュージシャンとしてやって行く決意表明し、
どんどん成長し始めた。(続く)


※Tokyo MFSB:70年代のフィラデルフィア・ソウルを創ったバンド
MFSB(Mother, Father, Sister, Brother)に倣って「ベリッシマ」
のバックをつとめた。メンバーはベーシストとしての小西康陽、
宮田繁男、ヤン富田、斉藤誠、越美晴、伊集加代子など錚々たる顔ぶれ。

葛飾ラプソディ

サードアルバム「トゥインクル」について

1、曲によってレコーディングの時期が違うので
  曲の質にばらつきがある。(特に詞が・・・)

2、ヴォーカルが未完成。(自分の歌い方をちょうど掴みかけたところ)
  ミュージシャンとして成長期だったんですね。


そんな堂島くんの転機と言えるのがサードアルバムと
4thアルバムの間にあるシングル「葛飾ラプソディ」なのです。


1、憧れの職業作家としての仕事(こち亀アニメ主題歌)で、
  自分の作るメロディに自信を持てた。

2、他人の詞(森雪之丞)を歌うことで
  改めて自分のヴォーカルを意識できた。


「トゥインクル」の中でも比較的最後の方に録られた
「ロンサムパレード」でさえもまだ鼻にかかったような
抜けの悪い歌い方だったけど、
97年2月に録られた「葛飾ラプソディ」では
その後につながる堂島唱法がほぼ完成している。


葛飾ラプソディを聴くと、この曲は洗練さの転機だったのではないか?
と勝手に推測してしまいます。

ブログ内検索