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堂島孝平ファンにつけるブログ

ゾンビーズからモーターヘッドまで(つまり音楽的に語るということ)

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宮田繁男に捧ぐ(堂島くんの20周年ライブに行って)

2015年2月22日、中野サンプラザで行われた「堂島孝平デビュー20周年ライブ」に行ってきました。堂島君のきちんとしたライブを見るのは10年ぶりくらいだった気がします。(ディナーショー? とか三鷹の公園でやった弾き語りライブとかは行ったけど)

これといったヒット曲もなく、ロック村からも基本的には無視されていたにも関わらず20年も活動を続けて、さらにCDも売れない時代になっているけどメジャーレーベルからコンスタントにリリースも出来ているなんて、改めてすごいなーと感心しました。

これまで関わった先輩や後輩、友人やライバルなど、ゲストも大変豪華で気づいたら5時間に及ぶなんともすごいライブでした。

その中で印象に残ったこと。

センチメンタルシティーロマンスという古い曲のエンディングで堂島君は「宮田繁男に捧ぐ」と叫んで曲を締めくくっていました。

宮田繁男というのは、ピチカートファイブの幻の初期メンバーでもあり、初期オリジナルラヴのドラマーだった人です。

個人的には、中学生の時にオリジナルラヴを聴いて初めて「この人の叩くドラムって好きだな」と思えた人でもあり、ドラムの音を聞いただけで「このドラムは宮田繁男かな?」と意識するようになった好きなドラマーです。

僕が初めて聴いた堂島君のアルバム「すてきな世界」でも何曲かでドラムを叩いていたので、「宮田繁男にドラムを叩いてもらっているけど、もしかして堂島くんってちゃんと音楽聴いてる人なのかな?」なんて思って堂島君に注目するようになったきっかけでもあります。

そんな宮田繁男はドラムとプロデュースで1999年〜2000年頃の堂島くんに大きな影響を与えていて、今回のライブでもその頃のソウルフルで格好いい名曲「涙をとめろ」と「センチメンタル・シティ・ロマンス」を演奏していて、まさに「あー、宮田繁男がいたらこの辺の曲のドラムは宮田繁男が叩いていたのかな〜」なんて思っていたら、エンディングで堂島君があのように叫んだので少し驚き、嬉しく思いました。

というのは、今回のライブの前年の2014年に宮田繁男さんは病気で亡くなっていたからです。

個人的なエピソードというか思い出話を一つ。

ちょうど宮田繁男が堂島くんのプロデュースをしていた「黄昏エスプレッソ」の頃のライブを観に行ったのですが、当時の仕事の関係でそのライブの打ち上げにも参加させてもらえることになりました。人見知りと遠慮がちな性格だったため、打ち上げ会場でも大人しくしていたのですが、途中で目の前に座っている人が宮田繁男さんであることに気づいて「中学生の頃大好きだったオリジナルラヴのドラムの人だ!」とすごい興奮してしまいました。

帰り際に少しだけ会話をさせていただいた堂島くんやシンバルズの沖井礼二さんよりも、話しかけることさえ出来なかった宮田繁男さんの目の前に座ったことが一番嬉しかったのを覚えています。

この前のライブでまさか堂島くんがあんな風に宮田繁男の名前を叫ぶなんて想像もしていなかったので、曲が終わった後少し目頭が熱くなってしまいましたw


そんな堂島くんに、20周年続けて来たことへのリスペクトと、名曲がもっと多くの人の耳に届く期待と希望を感じたライブでした。
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